大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

仙台高等裁判所 昭和49年(う)174号 判決

控訴人 検察官

被告人 石井久七

検察官 中村弘

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一〇月に処する。

理由

本件控訴の趣意は、山形地方検察庁検察官検事西岡幸彦名義の控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

控訴趣意第一点について。

所論は要するに、原判示第二の救護等の義務違反の罪と同第三の報告義務違反の罪は別個独立の義務であり、各義務違反に対する罰条も各別に規定されているから、両罪は併合罪の関係に立つものと解すべきであつて(最高裁判所昭和三八年四月一八日大法廷判決刑集一七巻三号二二九頁参照)、この見解は近時の同裁判所の判決(昭和四九年五月二九日大法廷判決)にいう「社会的見解」に照らしても是認されるものである。しかるに原判決は、右各罪が観念的競合犯の関係に立つものとして、刑法五四条一項前段を適用したことは、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の解釈適用を誤つたものであるから破棄されるべきである、というにある。

よつて判断するに、刑法五四条一項前段の規定にいう「一個の行為とは、法的評価をはなれ構成要件的観点を捨象した自然的観察のもとで、行為者の動態が社会的見解上一個のものとの評価をうける場合をいう」と解すべきところ(最高裁判所昭和四六年(あ)第一五九〇号昭和四九年五月二九日大法廷判決参照)、記録に徴し、被告人の所論各罪における行為の態様をみるに、被告人は自動車を運転して桜井庄市の搭乗する自転車に衝突し、同人に傷害を負わせたことを十分に感知しながら、ただ自己の刑責を免れんがためには、負傷者救護等の措置を講ずべき義務(道路交通法七二条一項前段所定)および警察官に対し当該交通事故の発生等に関して報告をなすべき義務(同条項後段所定)にともに背馳するもやむなしとの認識のもとに、運転を停止することなくその場から逃走し、もつて所論原判示第二および第三の各義務違反の罪を犯したものであることが明らかである。したがつて右各罪が刑法五四条一項前段の一個の行為によつてなされたものかどうかを検討するにあたつては、それらが救護すべき義務および報告すべき義務という法的な作為義務をその構成要件の要素となす真正不作為犯であることの性質を考慮しながらも、右認定の本件犯行態様に対して法的に無色な自然的観察および社会的見解から判断すべきである。

してみると本件各罪における義務違反すなわち不作為の動態は、事故現場からさらに運転を継続し逃走したというその客観的外部的行動によつて表象されている点を看過することはできず、しかも本件各作為義務が、その発生の時期、原因、既遂到達の時期等の諸点において、これを異別に解すべき特段の事情の存することが本件において認められないのであるから、本件二個の義務違反はまさに同一の機会において敢行されたもの、別言すれば衝突事故によつて被害者を救護すべき義務者および事故に関し報告すべき義務者たる身分を同時に兼ね備えつつ事故現場から運転を継続して逃走し、もつて同時に二個の義務違反を敢行したものであることに照らすと、前記自然的観察および社会的見解上、右各違反の所為は一個の行為によりなされたものと評価するのを相当とせざるを得ない。所論のごとく、行為者の動態に対する観察を尽さずに、ただ、各作為義務およびその処罰規定が別個独立であるということから、一律に作為義務毎に複数の行為があるものと解して併合罪の関係に立つとすることは、具体的な行為者の動態に対する考察を重視すべきものとした前記昭和四九年五月二九日の最高裁判所判決の趣旨にそわないものと考える。

したがつて被告人の本件各義務違反の罪は、刑法五四条一項前段の観念的競合犯の関係に立つと解すべきであるから、原判決のこの点に関する法令の解釈適用は正当であり、論旨は理由がない。

控訴趣意第二点(量刑不当の主張)について

所論にかんがみ記録を精査し、当審における事実取調の結果を参酌するに、被告人は原判示第一の犯行当日に自宅より原判示料理店における忘年会に出席するにあたり、同席で飲酒することを予定しながら敢えて普通乗用自動車を運転して同席に臨み、通常ビール大びん二本が限度であるところ、ビールをほぼ同限度量(約一・二四リツトル)まで飲んだ後同日午後六時頃右自動車を運転して帰途に就き、時速約四五キロメートルで進行中、酔がまわつて前方注視が困難な状態に陥つたところ、およそかかる場合において直ちに運転を中止して事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があることは当然であるにも拘らず、これを怠り、ただ帰宅を急ぐ気持に駆られるまま運転を継続した過失により、同日午後六時二〇分頃、附近に照明設備がないため路面が暗い原判示場所に差しかかつた際に、折柄被告人車前方左側を桜井庄市(当時六四年)が自転車に搭乗して同一方向に進行中であることに全く気付かず、自車左前部を右自転車の後部に激突せしめ、その衝撃を感じながらなんらの措置も講ずることなくさらに約六・六二メートル進行したときに再度の衝撃を感じ、ここにおいて自転車などに衝突し、その搭乗者などにかなりの傷害を負わせたであろうことを感知しながらただ刑責をおそれて狼狽し、咄嗟に右方に転把して自車を右自転車から離した後、停止することなく運転を継続して逃走し、もつて桜井に対し原判示の重大なる傷害を負わせたほか、原判示第二の救護等の義務も亦、同第三の報告義務をもともに尽さなかつたこと、同日午後一一時頃警察官によりその呼気の検査をうけたところ、呼気一リツトルにつき一・〇〇ミリグラム以上のアルコールを身体に保有していたこと、桜井は右事故当時郵便配達業務に従事中のところであつたが、右受傷の結果、いまだに左肩甲部痛、左肩機能障害があり、通院治療を継続中ではあるが、これらは後遺症として固定するものとみられ、従前の業務に復帰することは望み難いことが認められる。以上認定の情況に照らせば、本件各犯行の態様はまことに悪質にして結果も重大であり、被告人はその法軽視の態度に照らして、強く刑責を問われて然るべきである。もとより他面、被告人は日頃真面目な人柄で職場においても人望があり、これまで交通事故を発生せしめたことも、道路交通法違反の前歴もなく、性格には非常に小心な一面があつて、本件における逃走もこれに禍されて狼狽したためと窺われるほか、被害者に対しては熱心に慰藉の態度を示し、同人およびその家族らは被告人に対し宥恕の意思を表明して軽い処分を望んでいること、示談を成立せしめて、その約定の分割支払に多少の遅れはあるものの、まずまず履行していること、被告人に反省の情がみられること、家庭の状況その他諸般の情状の認められるところを十分斟酌しても、本件刑責に照らせば、被告人を懲役一年に処し、三年間その執行を猶予することとした原判決の量刑は、軽きに過ぎ不当であると認めざるを得ない。論旨は理由がある。

よつて刑事訴訟法三九七条一項、三八一条に則り原判決を破棄し、同法四〇〇条但書を適用してさらに次のとおり判決する。

原判決が適法に認定した事実に対する法令の適用は刑種の選択を含め原判決摘示のとおりであるからここにこれを引用し、所定刑期の範囲内で被告人を懲役一〇月に処することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山田瑞夫 裁判官 野口喜蔵 裁判官 鈴木健嗣朗)

検察官西岡幸彦の控訴趣意

原判決には、以下に指摘するとおり、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがあり、かつ、原判決は、刑の量定軽きに失して不当であり、破棄を免れないものと信ずる。

第一原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがある。

(原判決における事実認定及び法令の適用)

一 原判決は、罪となるべき事実として、

「被告人は

第一 自動車運転の業務に従事している者であるが、昭和四八年一二月三〇日天童市大字天童中二番一号、料理店「晃月」において、同日午後四時二〇分ころから会社の工員同志の忘年会で、ビール一・二四リツトルを飲み、同日午後六時ころ、同所から普通乗用自動車を運転して東根市方面に向かつて出発し、時速約四五キロメートルで進行中、神町付近にさしかかつた際、酔いのため前方注視が困難な状態となつたのであるから、このような場合、直ちに運転を中止し、もつて酒酔い運転による不測の事故を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、ただ早く家に帰りたいという一念にかられて進行を継続した過失により、同日午後六時二〇分ころ、東根市大字若木五八三二番地の一四付近道路において、前方左側を自転車を運転し同一方向に進行中の桜井庄市(当六四歳)に気づかず、自車左前部を同車の後部に激突転倒させ、よつて、同人に対し加療約五か月を要する脳振盪・背髄損傷・頸椎損傷・第二頸椎歯突起骨折の傷害を与え、

第二 前記日時場所において、前記自動車を運転中、前記桜井庄市に負傷をさせる交通事故を起こしたのに、同人を救護する等必要な措置を講じないでその場から逃走し、

第三 前記日時場所において、前記交通事故を起こしたのに、直ちに最寄りの警察署の警察官に、事故発生の日時場所等法律に定める事項を報告しないでその場から逃走したものである。」

との事実を認定し、相当法条を適用したうえ、第二の救護等の義務違反及び第三の報告義務違反の各罪については、一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段のいわゆる観念的競合の関係にあるものとし、一罪として法定刑の重い第二の罪の刑に従い懲役刑を選択し、第一の各罪、すなわち、業務上過失傷害の罪と酒酔い運転(原判決は法令の適用において酒気帯び運転と表示しているが、適用条文は酒酔い運転)の罪につきいずれも懲役刑を選択し、以上は、同法四五条前段の併合罪の関係にあるものとして、同法四七条本文、一〇条の規定により、法定刑の最も重い第一の業務上過失傷害罪の刑に法定の加重をし、その刑期範囲内で被告人を懲役一年に処し、同法二五条一項を適用して三年間右刑の執行を猶予する旨の言渡しをした。

すなわち、原判決は、第二の救護等の義務違反の罪と第三の報告義務違反の罪とを刑法五四条一項前段のいわゆる観念的競合の関係にあるものと判断しているのである。

(昭和三八・四・一八最高裁判所大法廷判決の判示)

二 原判決が、第二の罪と第三の罪について、一個の行為にして二個の罪名に触れるとして刑法五四条一項前段を適用したのは、昭和三八年四月一八日最高裁判所大法廷が、右二罪について併合罪の関係にあるとして判示した判例(最高裁判所判例集第一七巻第三号二二九ページ以下)に反し、法令の解釈適用を誤つたものである。

すなわち、最高裁判所大法廷は、

道路交通法は、道路における危険の防止と交通の安全、円滑を図ることを目的とするものであり、右目的達成のため、同法七二条は、その一項前段において、車両等の交通による人の死傷又は物の損壊の交通事故のあつたときの措置として、「当該車両等の運転者等は、直ちに車両等の運転を停止して、負傷者を救護し、道路における危険を防止する等必要な措置を講じなければならない。」と規定し、その後段において、「この場合において、当該車両等の運転者等は最寄りの警察署の警察官に当該交通事故が発生した日時及び場所、当該交通事故における死傷者の数及び負傷者の負傷の程度並びに損壊した物及びその損壊の程度並びに当該交通事故について講じた措置を報告しなければならない。」と規定している。

右規定の趣旨を前記道路交通法の目的に照らして考えると、同条項前段は、交通事故があつた場合、事故発生に関係ある車両等の運転者等に対し、まず応急の処置として救護等の措置を執るべきことを命じ、その後段は、この場合、すなわち、右前段にいう交通事故があつた場合において、警察官が現場にいないときは、人身の保護と交通取締りの責務を負う警察官をして、負傷者に対する万全の救護と交通秩序の回復に即時適切な処置を執らしめんがため、当該車両等の運転者等に右のような報告義務を課したものであつて、両者は、その義務の内容を異にし、運転者等に対し、各別個独立の義務を定めたものと解するのを相当とする。これがため、各義務違反に対する罰条も、前者に対しては同法一一七条、後者に対しては同法一一九条一項一〇号と各別に規定しているのであつて、要するに、交通事故があつたときは、運転者等は、救護等の措置と報告の措置の双方について、これが履行を義務づけられ、前者の義務を履行したからといつて、後者の義務を免れないのはもちろん、前者の義務の履行を怠つた場合においても後者の義務を免れず、これを怠るときは、当然報告義務違反の罪が成立し、これと救護等の義務違反の罪とは併合罪の関係に立つものと解すべきである。

と判示し、規定の趣旨と道路交通法の目的に照らして救護等の義務と報告義務は別個独立の義務であり、各義務違反に対する罰条も各別に規定しており、各義務違反の罪は併合罪の関係にあると解される。

(昭和四九・五・二九最高裁判所大法廷判決の趣旨と本件との関係)

三 最高裁判所は、昭和四九年五月二九日、大法廷において、無免許運転の罪と酒酔い運転の罪との関係につき、両罪は刑法五四条一項前段にいわゆる観念的競合の関係にあることを明らかにし、その理由として、「右規定にいう一個の行為とは、法的評価をはなれ構成要件的観点を捨象した自然的観察のもとで、行為者の動態が社会的見解上一個のものとの評価をうける場合をいうと解すべきである。」としたうえ、自動車を運転するに際し、無免許で、かつ、酒に酔つた状態で自動車を運転したことは、右の自然的観察のもとにおける社会的見解上明らかに一個の車両運転行為であると判示した。この判決を契機に、救護等をしなかつた行為と報告をしなかつた行為とは、「ひき逃げ」という自然的観察のもとにおける一個の行為であるから、救護義務違反の罪と報告義務違反の罪とは観念的競合になるとの説も生じている(判例時報七四二号・二一ページ中山善房論文及びジユリスト五六七号七〇ページ下村康正論文)。

しかしながら、右最高裁判決は、「自然的観察のもとで、行為者の動態が社会的見解上一個のものとの評価をうける場合」として、社会的見解に立つた評価を強調しているのであり、行為の自然的側面のほかに、行為の社会的側面をもなお重視していることが看取されるのである。

ところで、いわゆる「ひき逃げ」は、自然的観察のもとにおける行為というよりむしろ俗語であつて、社会的見解においては、人身事故があつたにもかかわらず、被害者救護のため何の措置もとらなかつたことと、交通秩序の回復に当たるべき警察官に何の報告もしなかつたことを言うのであつて、この行為は、同時に行うことはできず、時間的にも場所的にも各別になされるものであつて、行為者の動態としては、二個に評価されるべきものであり、前記大法廷判決によつても、救護等の義務違反の罪と報告義務違反の罪は併合罪の関係に立つと認めるのが相当である。

また、道路交通法七二条一項前段及び後段の各違反は、交通事故を起こした後、車両を運転して事故現場から離脱逃走する場合に限られず、現場にありながら救護等も報告も何もしない場合は、もちろん現場から徒歩で逃走した場合にも成立するのであつて、もともと逃走行為は本罪の成立要件ではなく犯罪の既遂となる場合の一態様にすぎないのであるから、かかる場合において、不作為であるという一事をもつて自然的観察のもとで一個の行為であると見るのは誤りである。

(刑事訴訴法三八〇条の法意)

四 刑事訴訟法三八〇条は、法令の適用に誤りがあつて、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかである場合を控訴申立ての理由としている。

そして、同条にいう「判決」は、主文のみならず理由をも含めた判決全体を意味し(団藤・新刑事訴訟法綱要七訂版五二一ページ・ポケツト注釈全書・改訂刑事訴訟法八七六ページなど。)、有罪の判決には、理由として、罪となるべき事実、証拠の標目及び法令の適用を示さなければならないとしているが(同法三三五条一項)、ここに法令の適用を示すことは、判決事実にいかなる法令を適用したかを明らかにするとともに、主文の刑が導き出される経緯として処断刑の範囲を明らかにするため、法令上の根拠を明示する趣旨である。

ところで、判決が正しいとされるためには、主文が正しいというだけでは足りないのであつて、理由もまた正しくなければならないのであり、理由の重要な部分に影響を及ぼす法令適用の誤りがある場合には、ひいて判決に影響を及ぼす誤りがあるというベきである(刑事法講座第六巻所収・横井大三・「控訴申立の理由」一、二八五ページ)。

思うに、別個の構成要件に該当する行為を一個の行為にして数個の罪名に触れるものとして観念的競合と解するか、又は、別個独立の行為とみて併合罪と解するかは、判決理由における重要な部分であつて、併合罪と解すべきものを観念的競合とした誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである。

そして、法令の適用の誤りと判決への影響との関係について、処断刑に影響することをもつて判決に影響を及ぼすことが明らかであるとする判例もあるが、これは、たまたま処断刑に変化を生ずるような事案であつたからにすぎず、処断刑に影響を及ぼさない限り判決に影響を及ぼすことが明らかでないとするものでないと解するのが相当である。判例も、同一の処断刑の範囲内であつても、法令の適用の誤りが判決に影響を及ぼす場合のあることを認めており(昭和四六・八・一八東京高裁判決判例時報六五四号一〇三ページ)、また、その加重せられる刑期が同一であるという理由で判決に影響を及ぼさないものということはできないとした判例もある(昭和二六・一一・二九広高裁判決 高裁刑集四巻一三号一、九八九ページ)。

また、観念的競合であるか併合罪であるかに関する法令適用の誤りは、その裁判が確定した場合には、刑事訴訟法四五四条の規定により非常上告の対象となるべき法令の違反である。非常上告をするか否かは、検事総長の判断にゆだねられるところではあるが、裁判確定後においてすら法令の解釈、適用の統一を図る見地から非常上告申立ての対象となる法令の適用の誤りは、具体的事件に関し、事実のみならず、法律点においても審査すべき控訴審において是正されるべきことは当然である。

更に、二個以上の構成要件に該当する行為を観念的競合と解するか併合罪と解するかは、判決の既判力の及ぶ範囲を異にする重要な事項である。

(結論)

五 よつて、救護等の義務違反の罪と報告義務違反の罪との関係につき、両罪をいわゆる観念的競合として刑法五四条一項前段の規定を適用した原判決は、両罪を併合罪として刑法四五条前段の規定を適用すべきものとした昭和三八年四月一八日の最高裁判所大法廷判決に反する法令の適用の誤りがあり、この誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである。

(その余の控訴趣意は省略する。)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例